奥寺佐渡子 ドラマ最新作は『下剋上球児』 『リバース』『最愛』の脚本家が描くものは? +気になるプロフ 結婚は?大学は? 

奥寺佐渡子(おくでらさとこ)。

「いいなあ、、、」
と思って、クレジットを確かめたくなる作品で、
奥寺佐渡子の名前を見つけることが多いです。

そして、今回、はまっているテレビドラマ『下剋上球児』。
そのクレジットにもありました!
「脚本:奥寺佐渡子」

『最愛』、『リバース』
あ、そう『おおかみこどもの雨と雪』、『サマーウォーズ』も
奥寺佐渡子の脚本だったはず。

脚本家、奥寺佐渡子を調べたくなりました。

奥寺佐渡子脚本ドラマ最新作は?

『下剋上球児』!

奥寺佐渡子の最新作は『下剋上球児』です。
すでに放映され回を重ねていますが、
「これまでにない野球ドラマ」
「知名度の高い若手俳優がいないキャスト」
「野球ドラマとミステリの初融合」
など、
日本のGP帯ドラマ史上「初」の試みをいくつもしていると評価されています。

これらの評価は、
関係者のアイデアをドラマ『下剋上球児』として具現化した、
奥寺佐渡子の脚本があってのことだと思います。

ドラマ『下剋上球児』は、
回を追うごとに感動が募るそのストーリー展開。
原作となる実話、
ノンフィクション『下剋上球児』が持つ説得力を少しも損なわない誠実さ。
奥寺佐渡子の特技とも言える、絶妙な時間軸の交差。
キャスト一人一人についての重厚で細やかな心理描写は、
主人公が複数人いるかのよう。
脚本家:奥寺佐渡子の特徴・魅力がギュッと詰まっていると言えます。

『下剋上球児』実話であり、
観るものは皆、その結末を知っています。
にもかかわらず、
奥寺佐渡子脚本には、
毎回、テレビの前で手に汗にぎり、
気づくと思わず号泣してしてしまっています。

 

奥寺佐渡子ドラマアカデミー賞脚本賞を2度受賞し!?

いったい、
奥寺佐渡子は、どんな経歴で脚本家として磨かれ、
この域に達したのでしょうか。

テレビドラマに限っていえば、
すぐ思い浮かぶ奥寺佐渡子作品がいくつかあります。

『リバース』『最愛』です。

実はこの2作で、
奥寺佐渡子は、
「ザ・テレビジョン」の脚本賞1位を受賞しているのです。

『リバース』のほかにも『夜行観覧車』『Nのために』など、
奥寺佐渡子脚本作品は、湊かなえの小説のドラマ化があります。

湊かなえの小説は、
時間軸の複雑な交差や
心理描写の細やかさ、
ミステリ要素を含んで視聴者の目を逸らさせない緊迫した展開といった
奥寺佐渡子が表現したかった共特を持っていたのだと思います。
共鳴したのではないでしょうか。

奥寺佐渡子は、
一貫して、
時間軸とミステリと心理描写を
磨き、得意とし、「売り」にしてきたのではないでしょうか。

 

これまでの奥寺佐渡子脚本のドラマを一挙並べてみます。

1.お茶の間(1993年)※初の連続テレビドラマ
2.薔薇の殺意〜虚無への供物(1997年)
3.ドンウォリー!(1998年)
4.高原へいらっしゃい(2003年)
5.夜行観覧車(2013年)
6.Nのために(2014年)
7.リバース(2017年)
8.わたし、定時で帰ります。 (2019年)
9.最愛(2021年)
10.下剋上球児(2023年)

 

奥寺佐渡子は映画でも脚本賞?アニメ映画で

奥寺佐渡子は、映画、特にアニメ映画で多くの脚本賞を得ています。

奥寺佐渡子脚本のアニメ映画は4本。
1.時をかける少女(2006年)
2.サマーウォーズ(2009年)
3.とある飛空士への追憶(2011年)
4.おおかみこどもの雨と雪(2012年)
(5.バケモノの子(2015年)- 脚本協力)

うち、細田守監督作品の
『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』
については、それぞれ数々の作品賞を受賞しているとともに、
どれも、奥寺佐渡子が脚本賞を受賞しています。

この後の細田作品『竜とそばかすの姫』が、
大々的に宣伝されながら高い評価を受けなかったことを考えると、
細田作品が受賞したというより、
「奥寺佐渡子の脚本が受賞した」と考えるのが妥当かもしれない、
と思われます。
それまでの細田守の受賞作品は全て奥寺佐渡子の脚本によるもので、
『竜とそばかすの姫』では、奥寺佐渡子は携わっていないからです。

 

細田守監督作品で奥寺佐渡子脚本による作品
『おおかみこどもの雨と雪』について、
受けた賞を挙げておきます。
1.シッチェス・カタロニア国際映画祭アニメーション部門(Gertie Award)最優秀長編作品賞
2.ヨコハマ映画祭審査員特別賞 「おおかみこどもの雨と雪」細田守監督とその制作チーム
3.文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞
4.iTunes Store「Best of 2012」サントラ部門 ベストアルバム
5.ゴールデングロス賞優秀銀賞
6.ロケーションジャパン大賞 グランプリ
7.毎日映画コンクールアニメーション映画賞
8.日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞
9.ワーナー・マイカル映画館大賞2012 ベスト10 邦画部門第1位
10.日本インターネット映画大賞日本映画部門 アニメ賞 監督賞
11.東京アニメアワード「アニメーションオブザイヤー」「監督賞」「脚本賞」「美術賞」「キャラクターデザイン賞」「国内劇場部門 優秀作品賞」
12.デジタル・コンテンツ・オブ・ジ・イヤー’12/AMDアワード 総務大臣賞(大賞)
13.日本シアタースタッフ映画祭 グランシャリオ賞(邦画部門1位)監督賞
14.第16回ニューヨーク国際児童映画祭長編観客賞
15.日本映画批評家大賞 アニメーション作品賞
16.イマジン・フィルム・フェスティバル(アムステルダム)グランプリ(Black Tulip 2013)
17.日プロ大賞ベストテン 第10位

これらの受賞の最大要因が奥寺佐渡子の脚本だ、とは言い過ぎでしょうか。

奥寺佐渡子はアニメ映画以外でも脚本賞?

奥寺佐渡子は
アニメ映画以外の数多くの映画で脚本を担当し、
そのうち『八日目の蝉』では、
日本アカデミー賞の最優秀脚本賞を得ています。

また、『グッドバイ〜嘘からはじまる人生喜劇〜』は、
大泉洋主演、その相手役に小池栄子。
興行成績が高く、
「大泉洋・小池栄子」の黄金コンビが、広く認知された作品だと思います。
奥寺佐渡子の重層的な心理描写力が、
俳優二人の、
コメディアン・コメディエンヌにして重厚な名優という才能を引き出したと、
私は思っています。

ちなみに、
脚本家デビューも映画で1993年の『お引越し』です。
27歳だったそうです。

 

以下に、奥寺佐渡子の脚本映画を並べてみます。
1.お引越し(1993年)
2.人間交差点 雨(1993年)
3.よい子と遊ぼう(1994年)
4.学校の怪談(1995年)
5.学校の怪談2(1996年)
6.学校の怪談4(1999年)
7.コンセント(2001年)
8.魔界転生(2003年)
9.花(2003年)
10.SEVEN ROOMS 「ZOO」(2005年)
11.雨の町(2006年)※脚本協力
12.しゃべれどもしゃべれども(2007年)
13.怪談(2007年)
14.パーマネント野ばら(2010年)
15.八日目の蝉(2011年)
16.軽蔑(2011年)
17.魔女の宅急便(2014年)
18.バンクーバーの朝日(2014年)
19.マエストロ!(2015年)
20.コーヒーが冷めないうちに(2018年)
21.グッドバイ〜嘘からはじまる人生喜劇〜(2020年)
22.望み(2020年)

その数に驚きます。

デビューから仕事が切れていないようです。
精力的だった、というほか、
奥寺佐渡子は高い才能の持ち主なのだろうと思います。

 

 

奥寺佐渡子 結婚してる?プロフィールが気になる!

こんなに多産の脚本家奥寺佐渡子。

まさか結婚してないよね、などど下世話な想像をして記事を探すと
なんと、下のような記事を見つけました!!

自分の子どもが学校に行ってから洗濯とかして、だいたい9時ぐらいからですね。そこから夕方まで仕事します。

間に合わないときは子どもが寝てからの夜10時以降も書いてます

奥寺佐渡子は、結婚していらっしゃるようです。
お子さんもいる模様。

若い皆さんにとって希望のロールモデル?

その上、
(こう言ってはなんですが)岩手県生まれです。
しかも「東海大学文学部広報学科卒業」ということで、
驚くほどの高学歴という訳ではありません。(よね?)

改めて、一覧表的に並べると
名前:奥寺佐渡子(おくでら さとこ)
出身地:岩手県
生年月日:1966年2月16日
年齢:55歳(執筆時)
学歴:東海大学文学部広報学科卒業
職業:脚本家

 

 

奥寺佐渡子 脚本家の前は石油会社勤務?!

奥寺佐渡子は、
いったい、
どんな経緯で才能を開花させたのでしょう。

どんな出会い、どんなきっかけがあったのでしょうか。

どこで、どんな環境で才能を育てていたのでしょうか。

改めて、
奥寺佐渡子さんは、1966年2月16日、岩手県に生まれます。

幼少期・学生時代特に脚本家になろうと考えていたわけではないそうです。
ただし、物を書くことが好きだったそうで、
「雑誌記者」のような仕事に漠然と憧れていたようです。
なるほど、大学で文学部広報学科を選んだわけがわかりました。

そして、通った東海大学時代に
ディレクターズ・カンパニーの脚本の公募に、応募し受かっています。

ここから、脚本家人生が始まるかといえば、
全く違っていて、
奥寺佐渡子は、卒業後石油元売会社に勤務し、
ディレクターズ・カンパニーの相米慎二監督から連絡あるも、
脚本家に専念の道を選ばなかったそうです。
堅実です。

そして、その石油元売会社で普通に働きながら、
3年ほど深夜番組の台本を副業で書いていたと言います。

そして、
なぜか、奥寺佐渡子が世に出たのは「詩人」としてだそうです。
1980年半ばに『鳩よ』という詩集が出版されています。
(すごいなあ。)

ところで、
相米慎二(そうまい しんじ)監督は、
薬師丸ひろ子さん主演の映画『セーラー服と機関銃』(1981年)などで、
1990年代の日本映画界に新風を起こした監督なのですが、
奥寺佐渡子とは、なんと同郷、岩手県出身という奇遇です。

その相米慎二は、
多くの映画人に多大な影響を与えている映画監督だそうですが、
奥寺佐渡子の脚本家デビューは、
この同郷の映画監督、相米慎二『お引越し』でした。

以降の精力的な活動や快挙は、
これ以前の段で書いた通りです。

 

なんとも、おもしろい人物、おもしろい脚本家だなと思います。

人生100年時代の現代。
現在(2023年)の奥寺佐渡子世代の平均寿命はすでに100歳を超える
と推定が出ています。

まだまだ、あと半世紀ぐらいは、
奥寺佐渡子作品で楽しませてもらえそうです。

 

 

 

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