生田俊平野球なら甲子園級(青森山田)『ドラフトキング』柏木『下剋上球児』楡 野球ドラマで輝く俳優のwiki 球歴など 

生田俊平をご存知でしょうか。

青森山田高校野球部出身の俳優で、
『ドラフトキング』(wowwow 2023)
『下剋上球児』(TBS 2023)
と、野球ドラマに立て続けに出て、ちょっと注目を浴びています。

生田俊平『下剋上球児』出演 野球本物 甲子園出場!? 青森山田で

生田俊平(いくたしゅんぺい)が『下剋上球児』で、
いい感じのキャラを演じています。

生田俊平は、
半端ではない野球経験を持っています。

青森山田高校野球部だったんです。
2016年(3年時)には甲子園にも出場しています。

甲子園常連校になっている青森山田高校野球部は、
日本全国から優秀な生徒を集めることでも有名です。

その全国区の野球部にあって、
津軽出身、
170cmと(野球選手としては)小柄で、
全国的には野球選手として有名でなかった
生田俊平は、
何百人という野球部員の中で、ベンチ入りを果たしているのです。

その野球実力とサバイバル能力で、
TBS日曜劇場『下剋上球児』の野球部員役を
生田俊平は勝ち取っています。

 

『下剋上球児』は、
実技オーディション、合宿オーディションと、
選抜だけでなく育成も兼ねた過酷な選考を重ねて、
ドラマ越山高校野球部員役を決めたことでも知られています。

スタントや吹き替えなしの迫力あるシーン、
本物の感情に裏付けられ高揚し研ぎ澄まされるプレーを
監督は選手役に求めていたと言います。

生田俊平は、
そのドカベン的な、あるいはマスコット的な風貌といい、
青森山田で培った野球実力、場の経験といったものが評価されて
1500人という応募者の中から、最後の12人に選ばれたのだそうです。

 

生田俊平『下剋上球児』以外のドラマ出演作品は?野球ドラマ?

生田俊平は、
1998年4月3日生まれ。
オーディション時にはすでに24歳でした。

デビューは、大学卒業後の23歳でしたので、
芸能生活2年目にして、
2本のドラマ出演の権利を得ました。

1本目はWOWWOWドラマ。
ムロツヨシ主演の『ドラフトキング』です。

人気コミックをムロツヨシ主演で完全映像化!未来のスター選手獲得に奮闘するプロ球団の剛腕スカウトを主人公に、スポーツの裏側の熾烈な争いと濃厚な人間ドラマを描く。

横浜ベイゴールズのスカウト郷原眼力(ムロツヨシ)は独善的だが自他ともに認めるすご腕スカウト。新人スカウトの神木(宮沢氷魚)が期待の剛腕・東条(増永樹)に注目する一方、郷原は目立たない控え投手の桂木(生田俊平)を獲得すべきだと主張。郷原の進言に、部長の下辺(でんでん)をはじめ、スカウト部の面々も首を傾げるが……。選手の完成形を予見することが重要だと説く郷原の眼には、一体何が映っているのか?

wowwow公式サイトより

この「目立たない控え選手桂木」こそが
生田俊平の役どころ。

実は、この生田俊平演じる柏木投手、
1年時からレギュラーで出、打撃・守備ともに好成績だった逸材、と言う設定。
でも、この時は内野手だったのです。
自分のこと以上に部のことを考える柏木は、
監督の言いつけに従い、
希望の力を発揮できる野手でなく2番手の投手として部に貢献していたのです。

生田俊平演じる柏木の
この野球に取り組む姿勢や、
怪我対策への意識の高さ、
野手としての適性の高さを、
郷原だけが見抜き、
首脳陣を視察によって説得して、
大学卒業後の争奪戦に先んじて、高卒時に獲得します。

入団後は内野手に転向。「放っておいても勝手に上手くなる」と言われるなど、首脳陣からの評価も高い。数年後、球団のスター選手として活躍している描写がある。担当スカウトである郷原を慕っている。

と言うシーンまでが描かれ、
視聴者が「感涙した」と言う投稿で溢れたそうです。

生田俊平の、人の良い、野球人キャラが、
この『ドラフトキング』で確立した感があります。

 

そして、次に、生田俊平には、
民放、しかもTBS日曜劇場『下剋上球児』と言う大舞台が用意されました。
『下剋上球児』に生田俊平=楡伸次郎に注目したいと思います。

 

生田俊平『下剋上球児』リアル野球人生も気になる 大学は?プロ入りは?

生田俊平は、
青森山田野球部でレギュラーで活躍しました。

その青森山田高校卒業後は、
仙台大学に進学しています。

生田俊平は、仙台大学で野球を続けていたようで、
ここから察するに、
野球推薦による進学だったと考えられます。

生田俊平が所属した仙台大学の野球部は、
仙台6大学野球において、東北福祉大学と並ぶ実力校だと言うことです。
部員数が250を超える大所帯の部だそうで、
毎年6・7月には、部内リーグ戦を行なって、
6大学野球の出場メンバーを選抜していたそうです。

生田俊平は、
この仙台大学で4年間野球部員として活躍していたといいます。

その後、
生田俊平がプロ野球のスカウトを受けたとか、
プロテストを受けたと言う情報はありません。

生田俊平は、
自ら、自らの野球人生を一旦終わらせた?卒業した?休ませた?ようです。
いずれにしても、
その後、
生田俊平の名を聞くのは「『ドラフトキング』柏木」としてでした。

 

生田俊平『下剋上球児』出演俳優すごい球歴!!出身地つがる市 なぜ芸能界に?

生田俊平は、
本州の最北端青森県の、豪雪地帯に属すつがる市生まれ。

そして、生まれて22年間はほぼ野球漬けと言って良かったようです。

けれど、
しかも、甲子園常連校青森山田でレギュラー選手だったのに、
プロ野球や社会人野球などに、
野球人として活躍の場を見つけると言う選択をしなかった
のはなぜなんでしょう。

そしてそれ以上に、
そのような経歴を持った人が、
芸能界に飛び込もうと思ったきっかけはなんだったのでしょか。

身長170cmと言う、
野球人としては決して恵まれているとは言えない体格を思えば、
プロを目指さなかったのはうなづける気がするのですが、
身長170cmのぽっちゃり体型だからこそ、
22歳で就活せず?いきなり芸能界を目指した理由や動機が、
とてもとても気になりました。

生まれ育ったつがると言うところが、
文化的刺激があまり豊かでないことは、そこで生まれた私にはわかります。
いかにネット時代とはいえ、
芸能の世界が身近にあったとは言い難い、です。
しかも、22歳の生田俊平が育っ野球部環境なら、
およそ察しがつきます。
きっと、生活の大半が、一年の360日以上が野球一色だったと思われます。

では、生田俊平大学生時代を過ごした仙台はどうでしょう。
仙台は、隅々まで美しい街並みを持った文化的な街。
市をあげて企画する文化事業も多く、
ジャスフェスが行われ、ミュージカルの劇団さえあり、
東京で上演される舞台も仙台公演として行われます。

漫画・アニメや小説の舞台として、
撮影が行われ、聖地巡礼の観光客も後を絶たないはずです。

うーん、
生田俊平の芸能熱のルーツ、、、、
仙台、なんですかねえ。

大学卒業まで野球一色だった生田俊平が、
なぜ、芸能界入りしたのか、
所属した事務所、ミシェルエンターテイメントは
彼のどこに才能を見出したのか、
ひどく気になって調べましたが、わかりませんでした!

わかり次第、このサイトでお伝えします。

生田俊平が、
スクリーンに登場するのを、
観客の涙を誘うのを楽しみにしている1フアンがお届けしました。

 

『下剋上球児』観てください。

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