映画『月の満ち欠け』。いよいよ2022.12.2.公開、という情報を得ました。
原作は佐藤省吾さんの『月の満ち欠け』(2017直木賞受賞作品).
脚広木広木橋本裕志さん。(『ビリギャル』『そして、バトンは渡された』の脚本家さん)
そして監督は廣木隆さんです。(『ストロボエッジ』『余命1か月の花嫁』の監督さん)
しかも主要キャストに名を連ねる俳優陣の豪華なことったら。
大泉洋さん、柴咲コウさん、有村架純さん、目黒蓮さん、田中圭さん、伊藤沙莉さん。
更には、映画『月の満ち欠け』を彩る音楽の素敵なこと!(Jonn Renonn・Liz Fohl・ちゃんMari)
「もう一度逢いたい」という願う純粋な想いが、27年の時を超えて奇 跡を起こす
(『月の満ち欠け』のキャッチコピーより)
これらの人々のコラボレーションこそが奇跡ではないかと思うほど、楽しみな映画です。
原作『月の満ち欠け』 複雑に入り組む物語のあらすじは? 相関関係は?
2022冬公開映画『月の満ち欠け』は、佐藤正午の直木賞受賞作で同名の『月の満ち欠け』が原作です。
原作小説『月の満ち欠け』は、主人公小山内堅が、4組の夫婦・親子の複雑で数奇な物語をつなぎます。
この小説『月の満ち欠け』で描きたかったと思われる「2つの思い」は、ひとつが小山内堅の妻:梢の、もうひとつが娘:瑠璃に託されています。この2人(ふたつ?)ともに直接関わる小山内堅を主人公として物語を進めることにしたのだろうと、私は思います。
なぜなら、たぶん、物語の軸は正木瑠璃です。主人公を正木瑠璃にし描いていたら、たぶん、わかりやすい甦りの、愛の物語になっていたのだろうと思うのです。
けれど、実際の小説『月の満ち欠け』は、多層構造のマトリョーシカのように私には思えました。
複雑に前後しながら配置される物語の時間。
登場人物たちの入れ子構造ともいえる関係性。
そして、キーになる、4組の家族の外にいる三角哲彦(アキヒコ)。
そのアキヒコが、「アキラ」と一致するエピソード。
本人の死後14年間も秘される小山内梢の本音。
読み手である私は、まるでミステリのように、正木瑠璃の思いの丈と行方、また小山内梢の本音を探るために読み進めることになるのでした。
ここでは、登場人物たちの相関関係に焦点をあて、順当な時系列に物語を単純化して、紹介させてください。(原作小説をこれから楽しむ予定の方は、読まないほうがいいかもしれません。いや、これを読んでからの方が、分かりやすくて味わい深くなるでしょうか。)
原作『月の満ち欠け』。この物語の根底に、ずっと流れ続けるキーワードは
「瑠璃も玻璃も照らせばわかる」
「君にちかふ阿蘇の煙の絶ゆるとも萬葉の歌ほろぶとも」
です。
物語の発端は正木瑠璃です。彼女を口説き落として結婚した、エリート人生を歩み続けてきた夫が竜之介。子供ができずすれ違い始めたころ、瑠璃は、大学生三角哲彦と偶然出会います。互いへの思いをほのかににじませながら、ふたりは会い続け、やがて永遠の約束をします。けれど、竜之介が三角の存在に気づき始めた直後、不慮の事故で瑠璃は亡くなります。あっけなく。何も残さず。竜之介と三角はそれぞれに、一人のその後を生きます。竜之介は自暴自棄になってエリート街道からはずれ、三角は留年の後、あの日の約束を支えに社会人になります。
あの日の約束「生まれ変わっても、あなたに会いにくる。」
もちろん、信じられはしない、いや、半信半疑。けれど、生まれ変わった瑠璃を自分なら見分けられるだろうと、三角は思ったのです。
そして、正木瑠璃は小山内瑠璃として、小山内堅・梢夫婦の子として生まれ変わります。
新月がまた生まれまわるってあらわれるように。
梢は妊娠中に「予告夢」をみます。夢で、おなかの中にいる子が女の子であること、その子の名が瑠璃であることを告げらます。小山内瑠璃はすくすく育ちますが、7歳を過ぎて高熱の病に侵されます。そしてそれを境に、大人びた、いえ大人そのもののような別人格になってしまいます。
小山内瑠璃は正木瑠璃になったのです。
けれど、瑠璃が18歳になったとき、東京に単身赴任中の父堅に仙台から会いに行く途中、運転していた母梢とともに自動車事故で亡くなってしまいます。小山内は茫然自失。会社を辞め、実家八戸でぼんやり年をとっていきます。ちなみに、小山内瑠璃は小1の時、立ち直りかけた竜之介と仙台の小学校で会っています。竜之介を避ける様は、まさに正木瑠璃そのものです。
2度目の正木瑠璃が生まれ変わるのは、小山内瑠璃が亡くなった年に千葉で生まれる小沼希美。母は予告夢をみています。そこで我が子に瑠璃とつけようとしますが、夫と義父の反対にあい、希美とします。小沼希美の家は工務店経営。ここに立ち直った正木竜之介が有能な建築士として勤務し、希美になつかれています。それが、希美7歳の高熱の日を境に、竜之介を避けるようになります。正木瑠璃の生まれ変わりであることを読者に伝えています。けれど、竜之介を避ける希美は、そのころ名古屋支社にいた三角に会いにいくために竜之介を利用しようとします。竜之介は、希美が自分の妻だった正木瑠璃であることを確信しながらも、妻の不貞を責めるためだけに名古屋行きに加担します。そして、その途中に誘拐犯の汚名を着せられたままつかまり、不慮の事故で希美は亡くなってしまいます。ここでまた、もうひとつの人間関係も判明。希美の母はかつて、小山内瑠璃の小1の担任だったのです。
3度目の生まれ変わり、4人目の瑠璃は緑川るりです。緑川るりは、小山内瑠璃の親友緑川ゆいの娘。小沼希美が亡くなった年に生まれます。この4人目の瑠璃こと緑川るりが、三角と再会を果たします。見かけ上、7歳の女の子と52歳のエリート社会人として。
さらに、娘のかつての親友緑川ゆいから、小山内堅は、妻梢の語らなかった真実の思いを伝えられます。娘瑠璃が、緑川ゆいに、父母のエピソードを憧れの関係として話していたのでした。二人きりの静かな老後を迎えたとき、初めて伝えようと、妻梢は、夫である自分に語らないまま人生を奪われていたのでした。これを知った小山内堅は、このとき還暦を迎えようとしていました。
そして、この一連の、物語の真相と言える「月の満ち欠けのような生まれ変わりの連鎖」を納得したとき、あることに気づきます。自分が今再婚しようとしていた相手の娘荒谷みずきが、妻梢の生まれ変わりであることに。
映画『月の満ち欠け』の原作小説『月の満ち欠け』は、三角と瑠璃の再開の場面で閉じられます。
正直な感想から申し上げれば、小説『月の満ち欠け』は、好きではありませんでした。
生まれ変わって再会したいがために、他の人生をないがしろにしているように思えたし、多くの人生を絶望に追いやっているように思えてしまいました。
文字で描く死とは言え、幼い子供や若い女性の死があまりに軽々しく扱われているように思われたのです。しかも、ファンタジーではない、数々の実話の裏付けが学術的になされているかのように書かれていることで、どこか許せないような思いがわいたのでしょう。
でも、一方、この現象を、否応なく亡くなる運命だった人が、他の人の体を借りて生き返るのだと考えれば許せるのかもしれない、また、生まれ変わってしまうほどに尽きない思いがあったことを表現したかったのだ、と考えれば、佐藤正午さんの描きたかったものが見えてくるような気もしました。
映画『月の満ち欠け』豪華キャスト 目黒錬・有村架純・大泉洋・柴咲コウ!田中圭・伊藤沙莉も!
小説『月の満ち欠け』が映画化される?!
しかも、目黒蓮の名前がキャストにある!
間違いなく目黒は三角哲彦でしょう!!!
目黒蓮が演じる三角なら、何度生まれ変わってでも再会したい。
そんな説得力が、彼にはあります。
目黒蓮は長身痩躯。185cmの彫りの深い美しく穏やかにほほ笑む青年。
ジャニーズ事務所所属のsnow-manのひとりとして活躍中。単独での映画出演はたぶん初めてです。
実際には、とてもとぼけた方のようですが、そのビジュアルたるや、憂いを含み、「少女漫画から出てきたような」とはこの人のこと、と言いたくなります。
小説『月の満ち欠け』を読みながら、こんな美しい三角を想像することはなかったので、驚くやら嬉しいやら、再度目黒蓮を三角に据えて、読み直したくなったくらいです。
レンタルビデオショップでアルバイトをする、社交的とは真逆の大学生、三角哲彦。
雨の日の偶然の正木瑠璃との出会いから、次の偶然を待ち続け、毎夜歩き回る一途さ。
永遠の愛を誓い、果たしてしまう誠実さ。
何より瑠璃を虜にしてしまう優しさと奥ゆかしさと初々しさ真直ぐさ。
ああ、どれも目黒蓮で観てみたいです。
『月の満ち欠け』映画化の情報を得たとき、
私にとってはわりきれない小説『月の満ち欠け』のストーリーが
頭の中で、俳優さんたちの美しいビジュアルを伴い、美しい音楽を伴って勝手に再現されました。
俄然、映画『月の満ち欠け』を観たくなりました!
主人公小山内堅は大泉洋。もう、説明せずとも彼の活躍を皆さんご存じだと思います。直近での話題は、三谷幸喜脚本の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』源頼朝。心を壊されてしまった実直な男の機微を、きっとその表情とセリフの間で表現してくれるに違いありません。地味で真面目なだけの堅を、期待通り、期待以上、魅力的な堅にして伝えてくれるでしょう。梢が愛し続けた男性として。
その妻梢を柴咲コウ。高校生の堅に憧れ、八戸から同じ東京の大学に追いかけてきて後輩になり、やがて妻になった梢。いつも堅のそばにいて、堅だけを見つめていた梢。柴咲さんのあの凛とした美しさは、梢の芯の強さ、寄り添い続ける丁寧さを表現すのにこれほどぴったりな方はないです。他の人でイメージできません。直近では、復活したガリレオシリーズに、再び出演。福山雅治さんとの共演、そして共にするkou+のアーティスト活動も楽しみですが。
物語の軸になる正木瑠璃は有村架純。力まず波立たずぽつぽつと思いを語るに違いない正木瑠璃。あー、なんてぴったりなのでしょう。出会いのシーンの雨に濡れているだろう姿も、出会ったら気になり続けるであろうさみし気な笑顔も、この配役を聞くと、これまた有村架純さん以外には考えられません。映画『花束のような恋をした』のときの今時女子とは異なる、人妻の憂いのようなものもまとえるに違いありません。テレビドラマ『石子と羽男』で演じた石子のように、自然にわかって寄り添って支えて包む女性とも異なる、どこか退廃的なものもまとえるのでしょう。正木瑠璃の特徴である舌を出す茶目っ気も自然に演じられるし似合うんだろうな、と予想します。楽しみです。
瑠璃の夫正木竜之介は田中圭が演じます。田中圭と言えば、私の中では『総理の夫』、『そして、バトンは渡された』のお父さん。人がいいけどどこか頼りない、世間擦れしてない育ちのいい好青年。実は誠実で仕事ができ、よく見るとかなりのイケメン。どの映画にもいて、間違いなく観る者の心をつかむ俳優さん。というのが、私の田中圭さん像ですが、『月の満ち欠け』では、まるで違うはずです。強引極まりない生まれつきのエリート。自分の計算外のことが起きたら、無理やりにでも修正しようとする。裏切ることは平気でも、裏切られることは許せない。瑠璃を失ったことに耐え切れずどこまでも堕ちていく人。田中圭さんの観たことのない演技を目撃できるのかもしれません。映画人の方々から、その演技力を評価されて、様々なタイプの映画に出演されている田中さんです。田中圭さんの演じる正木竜之介、どうなるのでしょう。
そして、もうひとり主要なキャスト伊藤沙莉。ブレイクして以降立て続けに話題作に出演を果たし、いずれの作品でも高い評価を受ける伊藤さんの役は、正木瑠璃の最初の生まれ変わり小山内瑠璃の小中学時代の親友です。三度目に生まれ変わるるりを生む役回りであり、主人公小山内堅に、亡き妻梢の思いを伝える重要な役です。原作『月の満ち欠け』でも、たぶん映画『月の満ち欠け』でも、ファーストシーンは、主人公小山内堅と伊藤沙莉演ずる緑川ゆいのシーンから始まります。重要なつかみとなるファーストシーンを任せるにふさわしい方を、監督は選んだのでしょう。
さて、こうしてキャストの方々を並べてみると、映画『月の満ち欠け』は、きっと原作を美しくそぎ落としたストーリーになるのでしょう。そして、行間の中にしかない登場人物同士の行動や表情が映像になって描かれるのでしょう。
待って!
ということは、原作『月の満ち欠け』には書かれていない三角と瑠璃のキスシーンも?ないはずないです。うーん、観たいような観たくないような、、、、
福重まり(ちゃんMari:ゲスの極み乙女)が『月の満ち欠け』主題歌を!目黒蓮・有村架純の魅力引き出す劇中歌jonn renonn『woman』
あなたにも、生まれ変わっても会いたい人はいますか?
映画『月の満ち欠け』の予告編は、そう語りかけ、バックにJonn renonnの『woman』が流れます。「Woman~♪」で始まるあの優しいメロディ。
Jonn renonnの『woman』が、悲しいことばかりの連鎖のような原作『月の満ち欠け』の、行間に描いていた愛の物語を浮かび上がらせるようです。
Woman, I know you understand
The little child inside of the man
Please remember my life is in your handsAnd woman hold me close to your heart
However distant don’t keep us apart
After all it is written in the stars
「君は知ってるだろ、男の中に幼い子どもがすんでいること。覚えてて、僕の人生が君の手の中にあること。ねえ、僕を抱きしめて、君の心で包んで。どんなに遠く隔たっても僕らは離れない。そう、星にだって書いてあるじゃないか。」
小説にはない映画の力です。
そしてもう一編の予告編に流れるのは『Warkinng through the Dream』。歌うのはLiz Fohlさん。
透明感のある歌声が、情感あふれるメロディに乗って流れてきます。
眠りに就こうとすると、決まって浮かぶ君の姿 何故だか分からなかったけど、何か ただの空想なんかじゃないんだ 目を覚まして覚える夢見ているような錯覚 なのに、眠りに就こうとすると、その度に 夢の中に現れるのは、君の姿。 <aki********さん>
ツイッター上で見つけた訳詞です。見つけたいくつかの訳詞の中でいちばんしっくりと胸に届きます。いちばんしっくり『月の満ち欠け』に寄り添う気がします。思う人を失ってもなお、夢の中に何度も現れるその人を、その思いを、決して消し去ることができない。その切なさが、『月の満ち欠け』そのもののようです。メロディと歌声が、作品全体を包み込むようです。
主題歌は、ゲスの極み乙女のちゃんMariことFUKUSHIMA MARIさんということです。これまた美しいピアノ曲。ゆうたりとしたジャズかボサノバのようなリズム。観終わったあとも、耳にするたび、胸がきゅうとなり、映画『月の満ち欠け』のシーンのあれこれが浮かんできます。映画『月の満ち欠け』をストーリーごと包み込んでいるような曲です。知らず、涙がこぼれます。
2022.冬。必ず足を運びたい映画を見つけました。
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