広末涼子さん豊悦さん寺島しのぶさんの三角関係 稀有な実話を映画に 

映画『あちらにいる鬼』2022.11.11公開です。

2022年、瀬戸内寂聴生誕100年の今年、
瀬戸内寂聴をモデルに書かれた同名小説『あちらにいる鬼』が映画化されます。

主人公を演じた寺島しのぶが、映画『あちらにいる鬼』で実際に剃髪したこと。
作者井上荒野と、小説『あちらにいる鬼』の主要人物モデル3人との関係。
主人公モデル寂聴がご存命中に、小説が書かれ、映画化されていること。
R15であること。
などなど。

この話題満載な映画『あちらにいる鬼』を調べてみたくなりました。

 

映画『あちらにいる鬼』 原作小説は実話?! 瀬戸内寂聴がモデル!

本気だろうか、、

作家井上荒野(あれの)が、
「瀬戸内寂聴をモデルに、男女の三角関係を書く」という記事を読んで、そう思いました。
本気だろうか、と。2016年のことだったと思います。

瀬戸内寂聴、三角関係、井上荒野、、、

こうして並んだ言葉から、
井上荒野は、ご自身のご両親と瀬戸内寂聴との間に存在した実話を書くのではないか、
と考えて、私は記事に接した当時、この作品『あちらにいる鬼』を読むことをためらいました。
倫理観からではありません。
むしろ、倫理観で捻じ曲げられるかもしれない当事者の思いを観たくなかったと思います。
井上荒野の作品を、それまで読んだことがなかったからです。

時を経て、
2022年、その『あちらにいる鬼』が映画化される!という報に接しました。
そんなこと許されるの?と少なからず驚きました。
けれど、監督は映画『月の満ち欠け』(大泉洋さん主演2022.12.2公開)の廣木隆一がです。
即座に小説『あちらにいる鬼』を入手して読みました。

そして、出版当時、まだご存命だった瀬戸内寂聴が、その帯に
「作者の父井上光晴と、私の不倫が始まった時、作者は五歳だった」
「モデルに書かれた私が読み傑作だと、感動した名作!!」
「作者の未来は、いっそうの輝きにみちている。百も千もおめでとう」。
と、絶賛のコメントを寄せていたことも知ったのでした。

朝日新聞出版が井上荒野さんをインタビューした記事に、短く的確な、
井上荒野ご本人と、小説『あちらにいる鬼』を紹介する記事を見つけました。

男女の心の綾を、的確な筆使いで描写する直木賞作家、井上荒野さん。新作小説『あちらにいる鬼』(朝日新聞出版)でモデルに選んだのは、彼女にとってもっとも身近な人々。父である作家・井上光晴の妻、つまり著者の母親と、光晴と長年にわたり男女の仲だった作家・瀬戸内寂聴を彷彿させる二人の女性の視点から、彼らの長きにわたる関係と心模様の変化を深く掘り下げている。           (朝日新聞出版「好書好日2019.2.8.」より)

まさしくこの記事通りの小説『あちらにいる鬼』が、映画『あちらにいる鬼』になるわけです。

映画『あちらにいる鬼』原作者井上荒野のところに
瀬戸内寂聴をモデルに、瀬戸内とご両親の話を書かないか、と企画が持ち込まれたのは、
ご両親が亡くなられた後だったと言います。
井上荒野は、「無理、無理無理」と断り続けていたと言います。
スキャンダルとして認知度の高い、肉親のエピソードを、
どんな形にせよ、晒すことに抵抗があるのは当然と思われました。

その井上荒野の背中を押したのは、かねてから親交のあった瀬戸内寂聴だったと言います。
「もちろん書いていいわよ、何でも喋るから」と。
寂聴はまさに、この実際にあったスキャンダルの渦中の人物。
自らも小説家で鋭い審美眼を持つ人物。
荒野の出世作『わたしのヌレエフ』(2008フェミニナ賞)を、審査員として世に出した人物。
そして、この企画作品が世に出たとき、最も好奇の目に晒されるかもしれない人物です。

もともと、荒野の作品には、父で作家の井上光春の存在が色濃く反映されていたようです。
何らかの形で、母の思いを解き明かしたいとも考えていたようです。
いつか書きたいとは、頭の片隅で考えていたのかもしれません。

「もちろん書いていいわよ、何でも喋るから」という寂聴の言葉に偽りはなかったようで、
荒野が、京都の寂庵に何度も訪ねぶつけた質問の全てに、
寂聴は、つぶさに答えたと言います。自ら語ったこともあったようです。
「この恋愛を文字にして残してほしい。なかったことにしてほしくない。」
という寂聴の強い思いを、荒野は受け取ったと言います。

寂聴の思い出話と、荒野の記憶。
重ねながら、
こうして実際にあった出来事を再現するように創られた小説『あちらにいる鬼』は、
寂聴モデルの長内みはると、荒野の母井上郁子モデルの白木笙子、
ふたりの視点で描かれます。
ひとりの男を共有していたとも思える二人の女の、それぞれの視点で、
男を語る、というよりも、ふたりが共有していただろう美意識が語られている作品。
共通した美意識ゆえか、信頼関係を築いていくかに思えるふたり。
淡々と美しく、それでいて人間の深奥を抉り出すような作品でした。
かすかに痛ましく、みごとに潔さを感じるような作品です。
露悪趣味な感じは一切なく、行間から官能が漂うような上質感に貫かれていました。

読んだ瀬戸内寂聴さんが、どう思ったか。
帯のコメントに明らかです。

映画『あちらにいる鬼』 キャスト:寺島しのぶ・豊川悦司・広末涼子でどこまで描かれる?

この小説『あちらにいる鬼』が映画化されました。

映画『あちらにいる鬼』は、恋人と妻、というふたりの女性の視点でなく、
女と男、瀬戸内寂聴と井上光春の視点で描かれたようです。
映画『あちらにいる鬼』は、寺島しのぶと豊川悦時司の「ダブル主演」となっています。

瀬戸内寂聴モデルの主人公、長内みはるを寺島しのぶ。
日本アカデミー賞の常連?主演賞・助演賞とも複数回受賞。鬼嫁のようなコミカルな役から、体当たりで脱ぐ役まで、幅広く演じてらっしゃいます。男社会である歌舞伎の家に生まれながら、女であるというだけで望みが叶わなかったという悔しい思いを抱いて育ったと言います。その寺島が、時代の先駆者として、自立する女を地で生きた寂聴を演じる。因縁めいたものを感じるのは、考えすぎでしょうか。寺島しのぶの大きな魅力のひとつが「体当たり」演技ですが、今回『あちらにいる鬼』では、実際にご自分の髪を剃ってしまいます。みはるが寂光になるシーン、つまり出家して尼僧になるときの剃髪シーンを、映画の中で実際行う、というわけです。女優さんとして、数々のお仕事がはいっているはず。思い切ったものです。この映画への本気度が伺えます。たのしみです。

何人もの女性に愛されてしまう井上光春モデルの主人公の恋人、白木篤郎を豊川悦治。
これまた、なんてぴったりな。次々女性に手を出してしまう天才作家。憎めないろくでなしの美しい男。退廃と創造が同居するセクシーな。なんて設定、豊川悦治さん以外浮かびません。最近では映画『キングダム2』、TVドラマ『ウチの娘は、カレシができない』でお馴染みの方もいらっしゃるのではないでしょうか。長身(186cm)、寡黙、顔にかかる長い髪、低い声、脱力感、、、などなど、セクシーが服を着て歩いてる、みたいなお方。映画『あちらにいる鬼』では、セクシーをカムフラージュするかのように黒縁眼鏡をはずさないそうで、どんな白木篤郎が現れるのでしょうか。PR動画では剃髪の前日、寂光とふたり、バスタブにいて「髪洗ってやるよ」というシーンが。胸が騒ぎます。

さらには、その白木篤郎の美しい妻、白木笙子を広末涼子。個人的には、いちばん観たい俳優さんです。いちばんぴったりだと思っているキャストです。小説『あちらにいる鬼』で、もうひとりの主人公。夫白木篤郎を長内みはる=寂光と共有?します。現実の井上光春さんの妻郁子、つまり荒野の母も、とても美しい人だったらしく、しかも、光春の作品とされるものの中に実は彼女が書いた作品がある、というほどの文才の持ち主でもあったと言います。実際、言葉の芸術家瀬戸内寂聴と同等に、「思い」を「言葉」で共有していたのではないかと、私は思っています。更に郁子は大変な料理上手だったそう。以上の白木笙子を演じる上で欠かせない3点、美しい(観た通り)、知的(広末涼子は早稲田大学入学)、料理上手(料理番組「家事ヤロウ」「男子ごはん」等出演)は、私生活の広末涼子と重なります。映画『あちらにいる鬼』が、実話とまがう現実味を帯びるとしたら、広末涼子の存在は欠かせないと思います。

さて、映画という制約の中で、『あちらにいる鬼』は、どこまで小説の美しさを表現してくれるのでしょうか。

滝山団地のベンチがブランコが我孫子の喫茶店が映画『あそこにいる鬼』の昭和をリアルにする!その他ロケ地は? そして映像を彩る音楽は?

ロケ地は以下です。「ヨシコのごちゃまぜブログ」さんからの引用です。

東京都東久留米市の滝山団地の中にある公園Playground:ベンチ・ブランコ・自転車練習
千葉県我孫子市のJR東日本の常磐線『天王台駅』周辺:飲食店
神奈川県厚木市の小田急小田原線「本厚木駅」からバスで25分:旅館・文学学校
東京都千代田区/文京区のJR東日本・東京メトロの『御茶ノ水駅』周辺:バー
千葉県松戸市幸谷にあるJR東日本の常磐線「新松戸駅」周辺:ブティック
茨城県取手市を走るJR東日本の常磐線『取手駅』からバスで15分程度のところ:病院



「ヨシコのごちゃまぜブログ」より(抜粋編集は執筆者)

荒野は1961年生まれ。昭和なら36年生まれです。作品の舞台は昭和。
レトロブーム再燃とはいうものの、令和になった現代に、「昭和」を探すのは簡単なことではなかったと思います。セットでなく、ロケでの撮影で昭和を再現することにも注目します。

また、セリフにしないはずの数々の「言葉」は、キャストの演技力に委ねられるはずです。
映画の醍醐味、映像に重なる音楽が、演技を効果的に「言葉」にしてくれることでしょう。

映画で使われる楽曲については、予告編で使われている曲だけ出典があきらかになりました。
浜田真理子という方の「恋ごころ」という楽曲です。
ピアノのイントロが、ドビュッシーの「月光」を思わせます。
浜田の切なげな声がゆったりとピアノに重なり、3人の語られない思いを代弁しているような。
小説『あちらにいる鬼』を読んだ一映画ファンの私としては、
劇中の楽曲も、クラッシックのピアノ曲が合うのではないかと思っていますが、どうでしょう。

愛憎を至近距離から目撃?原作者「井上荒野」という作家とは?

「作者の父井上光晴と、私の不倫が始まった時、作者は五歳だった」

再び、小説『あちらにいる鬼』の帯に寄せた瀬戸内寂聴のコメントを引用します。
このコメントの「五歳だった」「作者」というのが、井上荒野(あれの)です。
荒野は、Wikipediaによれば、1961年生まれということです。

映画『あちらにいる鬼』の原作者井上荒野は、映画のモデルとなった父井上光晴から溺愛された長女です。当時まだ瀬戸内晴美という名で作家活動をしていた寂聴と父の、恋愛の傍観者でもありました。同じく、傍観していたとしか見えなかった母郁子の真意を探るようにこの小説を書いた、という面もあったようです。

2008年27歳のとき、「わたしのヌレエフ」という作品で、フェミニナ賞を受賞しています。
それまで同人誌レベルの発表しかなかっと言いますから、この作品で一躍世に出たということでしょう。奇しくも、このとき、フェミニナ賞の審査員に瀬戸内晴美さんがいたということです。

その後は体調不良で、作家活動休止していましたが、2001年に『もう切るわ』を皮切りに完全復帰し、直木賞をはじめとする複数文学賞を受賞しています。
このあたりの作品については、前述の「好書好日」を引用します。

井上荒野(いのうえ・あれの)作家

1961年生まれ。89年、「わたしのヌレエフ」でフェミナ賞。2008年、『切羽へ』で直木賞、16年、『赤へ』で柴田錬三郎賞、18年、『その話は今日はやめておきましょう』で織田作之助賞。他に『夜をぶっとばせ』『キャベツ炒めに捧ぐ』など著書多数。

                   (朝日新聞出版「好書好日2019.2.8.」より)

そして、件の『あちらにいる鬼』は、「小説トレース」に2016年から連載を始め、2018年2019年と続けて、単行本・文庫が出版されています。

最新作は『生皮 あるセクシャルハラスメントの光景』。
性暴力と性被害告発を取り巻く状況について執筆しているそうです。タイムリーな問題作でしょう。

「モデルに書かれた私が読み傑作だと、感動した名作!!」
「作者の未来は、いっそうの輝きにみちている。百も千もおめでとう」。

再び、瀬戸内寂聴のコメントを拝借します。
これからも注目したい作家です。

そして、映画『あちらにいる鬼』、必ず観ようと思います。

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