松坂桃李さんが25歳のリアル天沢聖司に! 高橋一生さんを超えられる?

あの『耳をすませば』が実写版になって帰ってくる!!

いや、帰ってくる、は正しくありませんでした。

ジブリアニメ版『耳をすませば』(1995公開大ヒット)の10年後が、
中3の月島雫が、天沢聖司が、杉村竜也が、原田夕子が、
現実世界に飛び出してきます。
まだまだ悩み多き、25歳の青年になって。

しかも、四人の街、ムーン(なんともふてぶてしい、いや、ふてかわいい?ねこです。)の縄張りだった街が、アニメ版『耳をすませば』のままによみがえるのです。

 

『耳をすませば』実写版 10年前の物語は? ジブリ映画史上最高のイケメン天沢聖司、声優は当時(1995)14歳のあの俳優!!

2022.10.14いよいよ公開される実写版『耳をすませば』。
これを観る前に
1995年公開『耳をすませば』ジブリアニメ版で描かれた登場人物たちの10年前の物語は必見です! 実写版『耳をすませば』が何倍もたのしめるはずです。

宮崎駿さん(プロデューサー)が、アニメ版『耳をすませば』で描きたかったものは、この映画のキャッチコピーに集約されていると思います。

好きな人が、できました」(糸井重里さん作)

 

<雫と聖司の物語>

読みたい本の図書カード(*図書館の本一冊に一枚装着。借りる人が記名し、図書館保管)で、必ず出会う名前「天沢聖司」。どの本を借りても、カードには必ず主人公月島雫の前に彼の名前があります。読みたい本のどれもを、「天沢聖司」が先に読んでいます。どんな人?空想が膨らみ、まだ見ぬ「天沢聖司」にいつしか憧れる雫。

一方、偶然出会った、いけ好かない嫌味な奴。雫が作った替え歌の歌詞を盗み見て、名も知らぬそいつが言うのです。「おまえ、コンクリートロードはないぞ」だとー!?

このいけ好かないやつこそ「天沢聖司」その人。(少女漫画の王道?)

偶然はさらに続き、雫と聖司はけんかのようなやりとりを重ねながら、やがて互いの夢を知ります。そして、雫にとって「いけ好かないやつ」は「好きな人」に、
聖司にとっては、実のところ、ずっと前から「好きな人」がもっと「好きな人」に、
変わっていきます。
互いに、中3。人生の岐路。二人はそれぞれに行くべき道を決めます。大人たちの大反対を潜り抜け、それぞれの夢に向かって踏み出します。
互いの存在を、「好き」を、エネルギーに。

心臓がいつもの何倍も強く鼓動し、吐く息が熱く桃色に色づきさえするような、ときめき以上の何か。恋心が募ったときの、あの、体の内側を駆け巡り自らを突き動かす感覚。『耳をすませば』を客席の一隅で観ている私は、たぶんあのとき、雫と誠司と同じ感覚を共有していたと思えます。スクリーンに入り込む、物語に入り込んでしまう、登場人物と同化させてしまう力が、アニメ版『耳をすまぜば』にはありました。

加えて、ジブリ映画最高のイケメンでしょ!と思われる「天沢聖司」。
さらに、その天沢聖司に命を吹き込んだ声の主は、当時まさしく14歳だった、
あの高橋一生さんです。
今の高橋一生さんの、心地よいバリトンボイスが出来上がる少し手前。声変わりしたてのような、少しくぐもった低音の少年。知的で冷静なのに、情熱的で自分を持て余す初々しさと瑞々しさに満ちた少年「天沢聖司」。14歳の高橋一生さんの声を得て、生き生きと思春期を駆け抜けるのです。

 

<夕子と杉村の物語>

雫と聖司を中心に展開する『耳をすませば』ですが、この物語にリアリティと共感を加えるのが、夕子と杉村の存在でした。原田夕子は雫の親友、杉村竜也は雫の幼なじみです。

さわやかでやんちゃな野球少年杉村は、幼いころから雫とはまるで男同士?のつきあいです。それが、雫には心地よい。気楽で楽しい。でも、杉村にとって、雫は「好きな人」なのでした。ある夏の日、最後の大会を明日に控えたその日、杉村は叫ぶように告白します。「好きだ!」
混乱を隠せない雫は、混乱の中で気づきます。杉村は幼なじみ。それ以上ではない。それを懸命に伝えます。そして、自分の鈍感さが杉村を苦しめていたことにも気づき、自分を責め、親友夕子に打ち明けます。

けれど、夕子は、と言えば、ずっと杉村を好きだったのです。杉村は夕子の「好きな人」でした。

夕子と杉村の物語は、少女漫画の王道のような雫と聖司の物語を、私たちの身近でもたしかに起こっていた物語に変えてくれました。号泣できるほどの失恋、親友との胸痛むすれ違い、意図せず傷つけあってしまった日々。後悔と懐かしさと愛しさが、臨場感を伴って押し寄せました。

宮崎駿さんが描きたかったもののひとつは、この「好きな人が、できました」という時の、得も言われぬ感覚、何かの原動力になるほどのエネルギーの大きさ・荒々しさだったと思うのです。

そして、もうひとつ……

 

『耳をすませば』実写版はアニメ版の10年後 あらすじは?キャストは?

では、アニメ版『耳をすませば』の10年後を、実写版『耳をすませば』はどんなふうに、何を描いて観せてくれるのでしょうか。

会いたい人がいます

これが、2022実写版『耳をすませば』のキャッチコピーです。
「会いたい」ということは会えてない?会えない?会いに行く?夢は?結婚は?
成就してほしい、でも、感情移入できないようなおとぎ話は観たくない、うーん、、、、

再び、アニメ版『耳をすませば』の雫と聖司・夕子と杉村、4人のラストシーンから、紐解いていきたいと思います。

 

<雫と聖司の物語 ラストシーンから>

冬。夜明け前。一時留学したイタリアから数か月ぶりに帰った聖司。バイオリン職人になる!新たに決意する。会いたい。会えるはずがない。でも、止まらない。まだ暗い道を自転車で駆け出す。雫の住む団地、雫の部屋の下で、窓を見上げる聖司。

中間テストも期末テストも眠るのさえもすっ飛ばして、何か月も書き続けた物語が完成する雫。白み始めた窓の外。冷たい空気が吸いたい。聖司に読んでほしい。聖司に会いたい。窓を開ける雫。

「すごいよ、俺たち。今、雫が窓開けないかな、って思ってたんだ!」
「私も、聖司くんにに会いたいなって」

スマホはおろか、携帯談話すらも日常にはない時代にも、冬の夜明け前にだって、なんの約束もなくったって、会うことはできたのです。思いあい求めあう者同士なら、偶然でも奇跡でもなく必然だった、のです。

ふたりは聖司の自転車で高台に向かいます。聖司は雫を荷台にのせて、いろは坂を登ります。
途中、ふいに、雫は荷台を降りる雫。「お荷物になんかならない!」と自転車を押し始めます。
なぜでしょう。ラストシ直前の、このシーンで、もう涙が止まらなくなります。

ふたりの力でたどり着いた高台で、
まだ白い朝もやに沈む街を見下ろしながら、興奮気味に語り合う雫と聖司。

そして、驚きのラスト。聖司の口から飛び出す言葉は
「好きだ!」ではなく、
「結婚してくれ!」

「今」の思いにとどまらない、「未来」に向けた告白。

このラストの一言は、原作にはないそうです。
宮崎駿さんが、どうしても、とこだわったセリフだったと言います。
『耳をすませば』で、宮崎駿さんが伝えたかったもうひとつは、ここに象徴されているのでしょう。
今はまだ、白い靄がかかって見えないふたりの未来。
その靄を突き抜けるように、その先の未来を約束するふたり。

これは絶対続編あるでしょう。
いや、夢破れ、気の変わった、現実的な雫と聖司は観たくないなあ。
とは言え、おとぎ話の中にいるふたりなんか、もっと観たくない。
うーん、続編観たいような観たくないような、、、と気にかけながら、現実世界は早26年経過。

来たーーーー!
朝もやの向こうの未来、やってきました!
雫と聖司は、清野菜名さんと松坂桃李さんに姿を変えて。

なんて美しいビジュアルのお二人でしょう。
清野菜名さんは、直近では『キングダム』羌カイ(=*やまいだれに鬼)を、松坂桃李さんに至っては代表作を選ぶのが難しいほどたくさんの映画に主演されています。(直近は広瀬すずさんとの共演作『流浪の月』)そして、清野菜名さんは生田斗真さんと、松坂桃李さんは戸田恵梨香さんと、恋を成就させ結婚していらっしゃいます。(あれ、関係ないですね。)

さてさて、さてさて、実写版『耳をすませば』、雫と聖司の運命やいかに。
宮崎駿さんがどうしても描きたかった朝もやの向こうの暗示された「未来」。
これは観なくちゃ。

楽しみです!

 

<夕子と杉村の物語 エンドロールより>

一方、悲恋・失恋の気になるあのふたり。夕子と杉村。
わざとくっつけようとする雫の思惑が見え見えで、失敗。いや、脈ありか?
なんとしても救済したい、という観客誰もが思うところです。
どうなったんだろう、と気がかりなのに、一向に登場せず、終わってしまいます。

と、思いきや、
監督近藤喜文さんも同様だったらしく、
エンドロールと一緒に、カントリーロードの曲にのせ、無理やり?描かれているではありませんか!
(きっと、編集の都合上本編に入れられなかったに違いないです。)
私は、涙でびしょびしょになりながら、小さく「おー」と声を上げてしまいました。

一途な夕子の杉村への思いは届いたようです。
ともに、雫と気が合うのだから、気が合うのは当然だったと思いますが、
夕子の思いを知った杉村は、きっと、夕子が気にかかる存在になったに違いなく、
夕子の素直さや明るさに気づいていき、惹かれていったのでしょうか。(予想)
エンドロールでは、顔を赤らめて向き合う二人の姿がアニメーションで流れます。

そんなふうに付き合うようになったふたりって、10年もの間にどうなるものなのでしょう。
夕子と杉村の、朝もやの向こうの未来は、どうなっているのかなあ。

実写版『耳をすませば』では、夕子をモデル出身の内田理央さん、杉村を若手演技派筆頭と評される山田裕貴さんが演じます。心のひだの機微が観られそうなキャストです。
中学時代の杉村を演じる荒木飛翔くんのビジュアルも楽しみ。

「会いたい人がいる」(実写版『耳をすませば』キャッチコピー)

もしかしたら、夕子と杉村にも
描かれなかった10年の間に、距離か心か、何らかの別れがあったのでしょうか。
普通に、現実的なイメージではそうだよなあ、、、、
今回は、雫・聖司とどんなふうに関わるのでしょう。
内田理央さんと山裕貴さんがキャスティングされているのだから、単なる幸せなふたりで、雫と聖司のあれこれをはらはら見守る、とかないですよね。
田中圭さん演ずる雫の担当作家だって、きっと恋模様に絡んでくる配置ですよね。(あれ?)

あ、バロンも登場します。公式サイトによれば、雫の書いた物語の人物「猫の男爵バロン」も、実写版に登場するとのこと。アニメ版では露木茂さんの気品ある低音が魅力的でした。実写版ではさらに深みを増す袴田吉彦さんのお声で登場です。これもまた楽しみのひとつ。

ムーンは?
ムーンを地でいける猫、なんているでしょうか。
ふてぶてしくも、憎めない、うらやましいほど自由なデブムーン。
犬をもからかって平気で街中を歩き回り、ときには、電車にまで乗り込む知能犯。
何件ものおうちで、飼い猫のように、甘えもしないで餌をもらう愛されお得キャラ。
猫好きには、大好物の登場人物でした。
実写版に、出てきてほしい!

あれこれ、気になって仕方ありません。
あなたならどんなストーリーを描きますか。
監督平川雄一郎さんはどう描いてくれたのでしょう。

実写版『耳をすませば』は映画館で! ジブリアニメ最大の魅力美しい背景をそのまま実写で堪能

2022実写版『耳をすませば』の、キャスト・ストーリーに続く魅力は、そのロケーションだと思います。
実写版『耳をすませば』では、雫と聖司が過ごしていたアニメ版そのままの街が、実写になって甦るのです。
そんなことが可能になったのは、そもそも、アニメ版『耳をすませば』が現実の街をモデルに、忠実に再現していたからなんです。

『耳をすませば』の公式サイトによれば、ロケ地は京王線特急で新宿から30分の多摩ニュウータウンの北に位置する、江戸時代からの桜の名所だそうです。

アニメ版で「杉の宮駅」となっていた「聖蹟桜ヶ丘駅」。物語の要となる聖司の祖父営む「地球屋」は駅前のロータリー周辺にある設定だと思います。
そして、雫が住んでいた団地、夕子とおしゃべりしたベンチ、お父さんが勤め雫が毎日通った図書館、杉村に告白された金毘羅宮、聖司とふたり自転車で登った急な坂道、聖司にプロポーズされた高台とそこから望む街。そうそう、ムーンと眺めた電車からの風景、市営バスの車窓の街並みも。
どこもかしこも、アニメ版『耳をすませば』が、そのまま再現されるはずなのです。

唯一架空だったはずの「地球屋」はどう再現されるのでしょう。
聖司のバイオリンの工房であり、雫の物語のモチーフであり、雫と聖司をつなげ導いたおじいさんの骨董品店でした。

『耳をすませば』実写映画化には反対するフアンも多かったと言います。
あまりに素敵だったアニメ版の、世界観を壊さないで、という願いだったのだと思います。

それを乗り越え、満を持しての実写版『耳をすませば』。
膨らんだ期待を、きっと超えてくれるにちがいありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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