アスガー・ファルハディ監督作品『セールスマン』。
このイラン映画『セールスマン』が、再び、
話題となりニュースとなって世界中から注目されました。
再び、
とは2017年以来、ということです。
この年、アスガー・ファルハディ監督映画『セールスマン』は、
アメリカアカデミー賞外国語賞を受賞しながら、
アスガー・ファルハディ監督自身や主要キャスト・スタッフが、誰一人として
アメリカでの授賞式に参加しなかったということです。
なぜでしょう。
当時、アメリカはトランプ政権下。
2017年当時、アメリカではイラをン含む7か国からの入国を制限する法令が出されていました。
アスガー・ファルハディ監督は、
この法令が差別的だとして、授賞式をボイコットしたのでした。
そして、2022.12.19
「国民的女優を逮捕拘束」というイラン発のニュースが世界中に流れ、
アスガー・ファルハディ監督作品『セールスマン』が、再び注目されることになりました。
この日、イラン政府に逮捕され拘束されたのは、イランの「国民的女優」。
その名は、タラネ・マリドゥスティ。
彼女は、このアメリカアカデミー賞を受賞した作品『セールスマン』の主演女優でした。
アスガー・ファルハディ監督作品『セールスマン』はどんな映画なの?
では、
アスガー・ファルハディ監督作品『セールスマン』というイラン映画は、
どんな作品なのでしょう。
アスガー・ファルハディ監督作品『セールスマン』には、
アーサー・ミラーの『セールスマンの死』が劇中劇として登場します。
主人公は、この劇中劇で「セールスマン」なのです。タイトルの由来です。
そして、その妻を、件のタラネ・マリドゥスティが演じました。
イラン映画『セールスマン』は、アスガー・ファルハディー監督・脚本による2016年の作品です。
第69回カンヌ国際映画祭では主人公シャハブ・ホセイニが男優賞を、
アスガー・ファルハディ自身が脚本賞を獲得しました。
また、第89回アメリカアカデミー賞にはイラン代表として出品され、外国語映画賞を受賞し、
更にはグラミー賞の候補としてもノミネートされたという、世界中から高い評価を得た作品です。
どんな映画なのでしょう。
主人公の留守中、妻(タラネ・マリドゥスティ)が転居したてのアパートで何者かに暴行されます。
映画『セールスマン』は、
この暴行事件をめぐって、主人公が犯人をさがしだすミステリーです。
犯人を捜し、告発するというストーリーながら、
勧善懲悪とはいかない、善と悪とを線引きでいない社会の複雑さが描かれます。
登場人物たちの心理は、複雑で重層的です。
ミステリーとしては秀逸で、引き込まれます。
でも、なんとも割り切れない後味が残るのも事実です。
妻を犯されけがを負わされた主人公は、妻への愛ゆえに?男としてのプライドゆえに?犯人を捜し、訴えようとします。
妻はと言えば、犯人捜しを拒み、裁判にも消極的です。
夫婦の間に溝ができ、溝はどんどん深まります。
被害者である妻が、犯人探しや裁判に消極的なのはなぜでしょう。
イランに限らず、どの国でも、事件の性質上、「セカンドレイプ」を危惧します。
まして、現在のイランやその他イスラム教国の多くは、男性優位の社会です。
裁判の証人には、男性が必要とされます。
イラン社会はイスラム法によって統治され、その人権は「男性1人=女性3人」だそう。
単に「文化的に男性優位、慣習的に男性にとって都合のいい理屈が通る」というのではなく、
例えば、公の裁判すら、女性2人の証言でも男性1人の証言を覆すことができません。
被害女性1人の証言は、加害男性1人の証言でかんたんに覆されてしまいます。
こうした裁判で、女性が勝訴できる可能性は、ゼロです。
また、「富=権力=人権」です。
社会的に富や権力を持った男性の発言が最優先されるようです。
富や権力を持った男性は、何をしても何を言っても許され認められる、
逆に、富も権力も持たない、まして女性なら、一人前としてその発言を認められないわけです。
この社会の中で現実に生き、この社会に閉じ込められている主人公の妻は、
黙って、傷が癒えるのを待ち、人々が忘れてしまうのを待つ以上の得策はないのでしょう。
男性である夫には、それが感覚的にはわかりません。
自分の男性としてのプライドや沽券といったものが優先してしまうのでしょうか。
妻への愛が、犯人への怒りになっていたかもしれません。
アスガー・ファルハディ監督作品『セールスマン』は、
夫と妻、男性と女性、中流層と貧困層といった、イラン社会の「格差」が、
埋めがたいものとして浮き彫りになる映画でもあります。
この映画『セールスマン』のように、イラン社会固有の問題を浮き彫りにするのが。
アスガー・ファルハディ監督作品に共通したの特徴のようです。
そして、これらアスガー・ファルハディ監督作品の常連だったのが、
2019.12.17に逮捕拘束された、件の女優、タラネ・マリドゥスティです。
映画『セールスマン』のアスガー・ファルハディ監督ってどんな人?
では、まず、アスガー・ファルハディは、どんな人なのでしょう。
この映画『セールスマン』を作ったアスガー・ファルハディは、1975年生まれ。
イラン人の映画監督で脚本家です。
テヘラン大学などで学び、舞台監督の修士号を取得しています。
正真正銘のエリートです。
格差社会イランで、富も力もある男性エリートというわけです。
TVドラマの脚本家として人気を得、映画作りへ。
順風満帆のキャリア。
アメリカアカデミー賞の授賞式ボイコットにみられる祖国愛の持ち主。
そのアスガー・ファルハディ監督が撮る映画はと言えば、
そのほとんどが、『セールスマン』に代表されるように
現代イラン固有の問題を鋭くえぐっている、とされています。
公式サイトで見つけた、アスガー・ファルハディ監督評を挙げます。
母国イランとヨーロッパを股にかけて活躍するファルハディ監督は、人間と社会の本質に鋭く切り込む傑作を世に送り出してきたが、緻密な脚本や演出力に裏打ちされたその作風は、このうえなく濃密なサスペンスの要素をはらんでいる。ごく穏やかな日常の中に生じた小さなひび割れのような出来事が、登場人物の人生を根底から揺るがす事態に発展していく様を、張り詰めた緊張感を持ちつつ情感豊かに描出。その比類なきストーリーテリングの妙技が世界中の観客を魅了してきた。
検閲厳しく、制約の多いいイラン社会にありながら、
アスガー・ファルハディ監督は、巧みに「描かない描写」を浮き彫りにします。
描かれない、描けないシーンが、
登場人物の語りや姿で、ありありとイメージできるように仕組まれているのです。
格差社会のエリート層にいるアスガー・ファルハディ監督は、
作品を通して、何を表現しようとしているのでしょうか。
祖国を愛してやまないアスガー・ファルハディ監督は、
誰に向けて、何を、伝えようとしているのでしょう。
アスガー・ファルハディ監督の『セールスマン』以外はどんな映画?カンヌ映画祭グランプリも!
アスガー・ファルハディ監督の『セールスマン』以外の作品を調べてみました。
🔲2003『低空飛行』
イラン映画祭で発表。景気のいいドバイに移民して稼ごうと考える主人公。ドバイに行くために選択した手段はなんと、ハイジャック。家族を巻き込んでどたばた騒動。展開がスピーディな捧腹絶倒のコメディ。
🔲2004『美しい都市』
イランでは、被害者の心情によって、刑の重さが変わったり刑の執行が早まったり撤回できたりするという。この作品では16歳で殺人を犯し、18歳になるのをまって死刑が執行される少年を軸に、イランの司法制度の矛盾をありのままに描いている。緊張感ある展開、司法は何のためにあるのかという問いかけ、さらには、イラン社会はこのままでいいのか、という問いを突き付ける作品。
🔲2006『水曜日の花火』 ☆タラネ・マリドゥスティ 22歳
わたしたち日本人が思い描くイラン的な作品、ではなく、いたって現実的な現代の本当のイラン、日本や西欧と変わりないイランの都市生活を描いた作品と言える。
大みそか恒例の火祭りを控えた慌ただしいイランの年末。結婚式を控えた主人公ルイ(タラネ・マリドゥスティ)が資金を稼ぐため始めた家政婦のアルバイト先は、不仲な夫婦の家庭。夫の不倫を疑う妻に、探偵まがいの命を受け奔走するルイ。そのルイの機転もあって、不倫の疑いは晴れ、もとさやに。けれど、夫婦の実際を目の当たりにしたルイは、自分の結婚や結婚そのものに疑問を持ち始め、、、、、
🔲2009『彼女が消えた浜辺』 ☆タラネ・マリドゥスティ 25歳
第59回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(監督賞)。第27回ファジル国際映画祭で十部門にノミネート、監督賞を受賞。第82回アカデミー賞のアカデミー外国語映画賞におけるイランの提出作品。
中産階級の男女が、週末、バカンスに。その旅行先の海岸から、一人の女性エリが忽然と姿を消す。エリには婚約者がいるが、自身が望んだ相手ではない。婚約者をおいてバカンスに来ていた。婚約者は、エリの友人女性を暴力で追い詰め、ありもしないエリの不貞を白状させて、エリを探すが、彼女の遺体と対面することになる。
この失踪する女性エリを、タラネ・マリドゥスティが演じている。
🔲2011『別離』
第61回ベルリン国際映画祭金熊賞、女優賞、男優賞の計3部門で受賞。第84回アカデミー賞では外国語映画賞を受賞。脚本賞にもノミネートされた。
娘のために外国で暮らしたいと望む妻。認知症の父の介護のためにイランに残りたい夫。上流階級の夫婦。離婚しか方法はないのだが、これが非常に難しい。まず、妻は実家に帰り、別居。家事も介護も立ち行かない夫は、貧しい女性を雇う。その貧しい女性の夫は職もないのに、妻が働くことを許さない。女性は秘密裏に働き出す。女性を縛るいくつもの慣習による不合理が、やがて、認知症の父親の事故死を招く。事故死を巡って、裁判が行われるが、女性たちのわが身を守るための嘘で、もつれにもつれていく。
🔲2013『ある過去の行方』
第66回カンヌ国際映画祭女優賞。第86回アカデミー賞外国語映画部門のイラン代表。他多数受賞。
2組の夫婦の紆余曲折が、パリを舞台に描かれる。離婚・不倫・妊娠・再婚・嫉妬・親子関係のもつれ、、、加えて、事件解明のミステリー要素もある。どろどろとした心理のもつれあいを生むのはイスラムの慣習ゆえだろうか。
美しい映像と多層的な心理描写が各国批評家から高く評価されている。
■2016『セールスマン』 ☆タラネ・マリドゥスティ 32歳
貧困層の男性に暴行される、主人公の妻をタラネ・マリドゥスティが演じた。
イラン社会にある、いくつもの「格差」が生む人間模様。現代イラン社会固有の問題を描いたとされる。
🔲2018『誰もがそれを知っている』
スペインを舞台としたサイコスリラー。ペネロペ・クルスが主人公ラウラを演じた。
主人公ラウラの娘が誘拐される。身代金の要求が、ラウラほ他、ラウラの元恋人のところへも届く。これによって、犯人像は、身内かその関係者の可能性が生まれ、犯人を捜しながら、家族や関係者が互いに互いを疑いあう。
🔲2021『英雄の証明』
第74回カンヌ国際映画祭グランプリ。第94回アカデミー賞国際長編映画賞にイラン代表作。アスガー・ファルハディ監督映画を語るとき、今後代表作になるのではないか。公式サイトには、『英雄の証明』の魅力を伝えるみだしが躍る。
社会に渦巻く歪んだ正義と不条理を、現代に生きる私たちに突きつけてくる 極上のヒューマン・サスペンス。
大きな正義感と小さな嘘。 「賞賛」と「疑惑」が交錯するソーシャルメディアの光と闇。
汚された名誉、狂わされた人生の行方は-
元看板職人のラヒムは借金を返せなかった罪で投獄されている服役囚。金貨が入ったバッグを拾うところからこの物語は始まる。悩んだ末、落とし主に返して英雄になるのだが、、、、。
人間の倫理観を問う普遍的なテーマを、SNSやメディアのような現代的な切り口で追及する。
取り上げた作品は、サスペンス・ミステリー・コメディとバラエティに富みます。
けれど通底するのは、イランという国の不合理・不条理ではないでしょうか。
母国を愛し、発言力と影響力とを持った自分の為すべきことを、
彼アスガー・ファルハディ監督は見つけていたのかもしれません。
アスガー・ファルハディ監督の母国イランはどんな国?「女性 命 自由」を掲げてデモ
ところで、イランという国は、どんな国でしょうか。
中東にあって、産油国のイメージ。けれどなぜか貧しい、といったイメージも。
かつて(400年ほど前)は、メソポタミア文明の生まれた世界先進の農業・文化大国だったと思います。「目には目を」(刑罰は被害と同等)のハンムラビ法典のせいか、過激なイメージもあります。
そうそう、その後もペルシャ帝国として、ヨーロッパ・アフリカ・アジアにまたがる広い地域を支配していたんですよね。
現代では核兵器を作り、世界から経済制裁を受けている、と報道されていました。
フランス、シャルリエブド社襲撃事件のときの報道も覚えています。イスラム教教祖ムハンマドの風刺画に激怒したイランのグループが、シャルリエブド社を爆破。12人もの編集者が命を落としたと。
そして、2019年、ヒジャブのかぶり方を巡る女子大生死亡のいきさつから、
その社会の在り方が、日本にも詳細に報道されました。
女子大生は、なぜ死ななければいけなかったのか。
発端は、ヒジャブという女性に義務付けられたかぶりものをかぶっていなかったことでした。
風紀警察と呼ばれる取締員に逮捕拘束され、解放直後に死亡したという経緯が報道されていました。
女性には、教育・就職・運転・服装・結婚・離婚・資産の相続など、一生のあらゆる場面での自由が制限されています。権利が与えられていないそうです。
この事件?に端を発し、女性の人権と、貧困層(=ほとんどの国民)の生活改善、教育をはじめとした各種「自由」を求めてデモが起こりました。この動きは、SNSなどを通じてイラン全土に瞬く間に広がり、「女性 命 自由」と書かれたカードを掲げ、多くの国民がデモに参加するに至ります。
これまでも、世界的女性アスリートが、ヒジャブなしに競技を行い、帰国後逮捕拘束された例があります。2022サッカーワールドカップで活躍した選手ですら、デモに賛意を示して逮捕されています。
一般市民のデモ参加者は次々逮捕され、とうとう、うち二人の死刑が執行された、という報道が日本にも届きました。うちひとりは公開で処刑されたと言います。
アスガー・ファルハディ監督作品映画『セールスマン』の主演女優が逮捕!なぜ?
ヒジャブ事件・大規模デモ・デモ参加者の死刑執行、、、
直後、国民的人気女優のひとりが、すぐさまSNSで、デモの支持を公表します。
「女性 命 自由」と書かれたカードを掲げる自らの姿とともに。
アスガー・ファルハディ監督映画『セールマン』の主演女優にして
アスガー・ファルハディ監督作品の常連女優とも言える、タラネ・マリドゥスティ、その人でした。
タラネ・マリドゥスティは、即日拘束されます。
「反革命と暴動を支援する虚偽の情報を拡散した容疑」とのことです。
2022.12.17でした。
(のち2023.1.4解放されたということです。)
タラネ・マリドゥスティは、出演するドラマを国民の9割が観るというほど絶大な人気を誇ります。2016年32歳のときには、アスガー・ファルハディ監督『セールスマン』で、性被害に遭いながら抑圧的な社会のなか表沙汰にできない女性を演じました。映画はアメリカ・アカデミー賞の外国語映画賞を受賞しましたが、人気だけではない、女優としての実力をもうかがい知ることができます。
また、
「イランにはとても複雑な文化や物語があります。世界でも重要な役割を占めてきました。でも世界の多くの人は、それを知りません」
というタラネ・マリドゥスティ自身のコメントからは、彼女もまた、イラン国民と母国イランを愛していることがわかります。
タラネ・マリドゥスティは、例のデモを指示したコメントの中で、
「沈黙は暴君への支援を意味する」
とも訴えていると言います。
タラネ・マリドゥスティは、行動しました。
専制君主から、民主主義を勝ち取るために。
女性やマイノリティの人権を、命を、自由を勝ち取るために。
そして、
次のコメントはタラネ・アリドゥスティさんが、2018年、東京国際映画祭の審査委員として来日したときのものです。
「映画製作において女性がマイノリティーなのは、どこにおいてもマイノリティーだからです。一歩一歩、解決していかければなりません」
映画と、女性と、全てのマイノリティと、イランと、世界。
そのあるべき姿のために、タラネ・マリドゥスティは、すでに行動を始めていました。
アスガー・ファルハディ監督の思いは、映画となって、
演者の心を動かし、
イランの国民の心を動かし、
世界の人々の心を揺らし始めたのかもしれません。
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